更新履歴 タイトル
2004年12月31日 世界記録更新
2004年10月10日 大和川越え
2004年10月1日 第3回記録会総評
2004年9月4日 女子マネ加入
2004年8月30日 スコアブック
2004年8月25日 HP開設1周年
2004年6月20日 <打撃部門>個人成績中間発表
2004年6月6日 初物づくし
2004年5月16日 秘密特訓
2004年4月22日 続・全国デビュー!!
2004年3月24日 3年目の正直
2004年2月24日 「遊び」から「軟式野球」に
2004年2月23日 屈辱の初試合
2004年2月1日 新年初試合初勝利
2004年1月29日 全国デビュー!?
2004年1月25日 初試合積雪で中止
2004年1月10日 記録会


2004年12月31日 世界記録更新
2004年美原タイガースの全日程が終了した。今年は69試合で30勝38敗1引き分け。

昨年度は8試合しか出来なかったことを考えると約9倍近く試合数が増えた。

これも新入部員で入ってくれた、
渡辺選手、樽井選手、伊川選手、池上選手、清水選手、小竹選手のおかげだ。

本当に感謝しています。ありがとうございます。

2004年は試合が多かったので個人成績が楽しみだった。詳細はこちら

美原タイガースは野球未経験者が多く、野球経験者や若者のチームには及ばない事も多々ある。

それでも一生懸命プレーをしている。

全力プレーで分かりやすいのが盗塁だ。

美原タイガースのメンバーはランナーに出たら次の塁を目指すため盗塁をする選手が多い。

一つでも先の塁に行き得点チャンスをもぎ取ろうする姿勢だ。


2004年の総試合数が69試合で盗塁は495個。
1試合平均7個以上盗塁を成功している計算になる。

特に美原タイガースの1、2番コンビ

坂口選手:
144盗塁(67試合出場)と渡辺選手:122盗塁(68試合出場)の2名で

チーム全体の半数以上を稼いでいる俊足コンビだ。

プロ野球界の1シーズンの盗塁記録を調べて見ると・・・

日本記録:福本豊(阪急)・・・106個(1972年)

メジャー記録:H・ニコル(レッズ)・・・138個(1887年)


坂口選手、渡辺選手とも福本豊の持つ日本記録を大きく上回っている。

坂口選手はH・ロジャーのメジャー記録さえも上回った。


今シーズ後半は
坂口選手はH・ロジャーの持つ世界記録を更新することを目標にしていた。



たかが草野球の記録かもしれないが、1年間でこれだけの記録を達成することは容易ではない。

相手チームに速球派の投手や強肩キャッチャーがバッテリーでも果敢に盗塁を目指す。

以前甲子園出場経験のある強肩選手から2盗塁をしたときは観客となって楽しめた。

厳しい投手の牽制といつ走るのか分からない状態でスリルがあった。

投手の足が上がると同時にスタート。捕手から弾丸の様な送球が送られる。

セカンドベースに滑り込む。判定は!?

「セーフ!」派遣審判員が高らかに吼えた。

美原タイガースのベンチからも思わず拍手喝采。

阪神タイガースの赤星のように「足で人を魅了する」事が出来る貴重な選手だ。


今年1年本当にお疲れ様でした。来年はさらに自分の記録を更新できるよう頑張りましょう!!


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2004年10月10日 大和川越え
我が美原タイガースは大阪南部の堺市や美原町で活動している。

それ以外の市町村の球場と言えば、行く事すら無かった。

ある日、メンバーから
「服部緑地公園球場の予約が取れた」と連絡が入った。

「服部緑地公園?」

小学校の時に遠足で行った事がある様な記憶が・・・

場所は分からないが何となく「遠い」という事は分かった。

メンバーに意見を聞き「
まだやってない球場でやってみたい」という事になり試合を組むことに。

チームにとっては初の「大和川越え」となる。

美原タイガースは遠征などは中継点を置き、メンバーの車2台に分乗して球場に向かう。


景色を見ていると「御堂筋線」の電車が地上に出てきた。新幹線も走っている。

何となく「都会(遠く)に来たぁ・・・」と実感した。

目的の服部緑地公園球場に着き、グラウンドを見渡すと、内野は土で外野には芝生が生えている。

良く見ると
外野に白いモノが無数にある

ゴミでも落ちてるのだろうと拾いに行くと、

「キノコ」だ!!


真っ白いキノコが外野全体に生えている

これ食えるんかな?

大阪人なら当然の疑問。でも食べる勇気はない・・・


試合は大東市C級の「チャモロパンチ」様。

第1試合はチャモロ9-5美原と敗北。

第2試合は美原9-7チャモロと辛勝。

試合中打球が外野に上がった。外野はダッシュで取りに行く。

体勢を崩しながらも何とか捕球。

ベンチに帰って、「
ナイス、キャッチ!!」とメンバーで言うと

目の前にキノコが生えてて、グローブで潰しそうやった・・・

恐るべしキノコ!!


初遠征も終わり、帰路に着いた。

慣れない早起きとダブルヘッダーと長時間の移動で疲れがドッと出たのだろう。

同乗しているメンバーのほとんどが寝息を立てている。

それは試合後の「戦士の休息」と言うよりも、

遠足帰りの園児の昼寝の様だ。


いつも遠征に車を出してくれているメンバーの方へ

いつもありがとうございます。これからも安全運転でお願いします。


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2004年10月1日 第3回記録会総評
我が美原タイガースはほぼ毎週土曜日の練習に加え、日曜日に試合をしている

メンバーは野球未経験者が圧倒的に多い

メンバーの中には「美原タイガース」で草野球をするまでキャッチボールしかしたことがないメンバーもいる。

当然社会人になってから軟式野球を始めたことになる。

はっきり言ってメンバーの個人の能力はそれほど高くは無いが、みんな一生懸命やっている。

試合の勝敗に一喜一憂し、試合には勝ちたいと全力で頑張っている。

試合に勝ちたいのは山々だが自分達の実力が上達してきているのか気になる

そこでメンバーの
個人の能力を測るために「記録会」をやっている

種目は「遠投」、「ティーバッティングの飛距離」、「ベースランニング」の3種目だ。


9月20日(祝)千早赤阪村民運動広場にて第3回記録会を行った。

このグラウンドは友好チーム「北斗タイガース」様が譲渡してくれた。

両翼85m程、トイレ、自販機、ベンチ、バックネット、ナイターの照明まで完備の良い球場だ。

9月下旬となると秋真っ盛りだが、当日は真夏日。

さらに18日(土)、19日(日)、20日(月)と3日連続の野球漬けと言うこともありメンバーも疲労があった。

入念ウォーミングアップの後、記録会が行われた。


まず最初の種目は「
遠投」だ。一塁のファールラインからレフト方向に向かって投げる。

30m〜80mまで10m間隔で事前にラインを引いている。

参加メンバー8人中6人が前回の記録を塗り替える自己新記録をマーク。

特に新入部員の
清水選手は79.1mとチーム最長記録を樹立

エース花登は最初の試技が納得いかなかったのが、自ら2回目の試技に挑戦し自己記録を更新。


遠投を測定したラインを利用して続いて「
ティーバッティング」を測定。

いつも渡辺さんにお願いしてティーバッティングの「ティー」を持ってきてもらっての測定だ。

第1回の記録会では花登選手が見事にティーを打ち坂口選手のバットを凹ますという珍事件があった。

ティーバッティングも
8人中6人が自己新記録を樹立。過去2大会は70m以上の飛距離を出した選手が

2人しかいなかったが、今回は6人と一気に4人も増えた。


最後は最も注目の「
ベースランニング」だ。

何といってもベースランニング記録保持者渡辺選手と現在盗塁王の坂口選手の記録争い。

ダークホースに池上選手。前回はスパイク無しのスニーカーで17秒8を記録。好記録が期待できる。

新入部員の清水選手も走塁には自信があるらしく侮れない存在だ。

走者がホームベースに付くと各ベースに走塁後のベースの歪みを直す補助員が待機。

ベースランニングも8人中7人がまたまた自己新記録を樹立。

チーム最速は現在盗塁王の坂口選手に決定。

自己記録を1秒近く縮め、2位以下を引き離す16秒台をマーク。

今回の記録会でチーム内に17秒でベースランニングを走れる選手が5人に増えた。

竹田選手は17.65秒と全メンバーの中でも上位4位に入賞

驚異的な肉体能力を持つチーム最年長57歳


前回の記録会から約半年。気候が暖かくなって体が動きやすくなったというのもあるが、

毎週練習と試合に明け暮れてきた成果が好成績を生み出したと思う。

試合に勝つことも大切だが、練習をし、自分の能力が向上しているのも嬉しいものだ。

次回の記録会の日程はまだ未定だが、
今回以上の記録が出るように毎週の活動を頑張りましょう!!


末尾になったが今回の記録会は友好チーム「北斗タイガース」様のご協力がなければ実現しませんでした。

この場を借りて改めて御礼申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。


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2004年9月4日 女子マネ加入
我が美原タイガースは2002年結成のまだまだ若輩チームだ。

メンバーの平均年齢は高く30代後半だろう。

メンバー全員が当然男性で選手兼審判兼マネージャーをしていた。

試合毎にスコアブックを付けていくと守備の時の投手成績も付けたくなる。

女子マネージャーがほしい!!

去年からメンバーの悲痛な訴えだった。

まだスコアブックすら付けていなかった時期に・・・



メンバーから「
女子マネージャー連れて行くよ

と連絡が入った。

2004年7月4日 v.s「20th.C.B」戦が初めての参加。

メンバーもベンチの椅子を空け、マネージャーが座れるようにした。

その横にはちゃっかりと自分が座っていた。


野球は好きだがマネージャー経験が無いので、当然スコアブックの付け方など知るはずも無い。

きっちりとメンバーが教えてくれている。


ある日いつもの様に試合後にスコアブックを受け取ると、

ユニフォームを作ってほしい」と

マネージャーの口から出た。

「背番号は何番にする?」と聞いた。

マネージャーだから背番号は要りません

「せっかくだから・・・」 

53で」

(好きな選手は阪神の「赤星」か?と内心思いながら・・・)

サイズと料金を確認し発注した。完成が待ち遠しい。

マネージャーもスコアブックを付けるだけでは面白みに欠ける。

ユニフォームの完成の暁には一緒に練習して試合に出れるようになりましょう。


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2004年8月30日 スコアブック
美原タイガースのHPが完成して、HPの「試合結果」、「個人成績」に載せる為に

試合毎に『スコアボード(当ページの簡易型スコアブック)』をつけるようにした。

自分で作ったこの用紙は試合結果と各打席の結果、打点、盗塁、など個人成績も

全て記入できるようにしていた。


おかげでメンバーの個人成績がはっきり数字に現れた。
俄然メンバーのやる気も高まった。

試合中いつも通りメンバーの各打席の成績を付けていると自分の打順が回ってきた。


他のメンバーに「個人成績」の記入を頼み打席に入った。

結果は四球で、その後本塁まで帰塁するのに4人程の打者が打席を終えた。

『スコアボード』を受け取り、表を見てみると何やら訳の分からない記号が書いている

成績管理をする者が記号の意味が分からなければどうしようもない。

早速記号を記入した本人に聞いてみた。

「すません。この記号は何ですか??」

スコアブックの記号やん。Bが四球で、この斜線がヒットやねんけど、マスが足らんわ

「・・・・・・・??えっ??何ですか??それ??」

一瞬何の事か理解できず、とりあえずその場は記号の意味を教えてもらい

自分の分かる記号に書き換えた。


その後、「
スコアブック」と言う物が野球の個人成績を管理する上で最も重要なこと、

さらに試合の流れや選手の動きなども全て分かる
と言うことを知った。

メンバーと話し合い、早速美原タイガースでも個人成績の管理に「スコアブック」を取り入れようとなった。


まずは
「スコアブック」を手にいれなくては・・・

ネットサーフィンを繰り返しかなり探しまくった。手元にはいくつかのスコアブックが揃った。

しかしどれも
スタメン9人の成績しか残せない代物だった

美原タイガースは結成当初から練習試合は「全員打ち」をしている

全メンバー揃えば13人。これらスコアブックでは4人も成績に残らないではないか!

せっかく
参加してくれているメンバーの成績が残らないのは面白くない!!という事で

再び自分でエクセルに向かい合った。見よう見まねでスコアブックを作った。


エクセルなので自分で加工が簡単だった。参加人数が増えようが枠を増やせばいい事。

他の草野球チームも同じように思っているのでは?と思い、自作の「スコアブック」を

ダウンロードできるようにした。スコアブックを付けれないチームの為にも今までの

「スコアボード」もダウンロードできるようにした。

おかげ様で大変多くの方々に利用していただいている。

毎月平均1300名の方がダウンロードしていってくれている。嬉しいことだ。

(この1300名の方がトップページに来てくれないからカウンターは動かないが・・・)


野球経験者の少ない美原タイガースのメンバーには最初はスコアブックの記号の意味、

記入例など分からない事が多々あった。その都度知っている人に聞いて理解していった。

図書館に通い独学でマスターしたメンバーもいた。


今はマネージャーが入ってくれてスコアブックを付けてくれている。

スコアブックの記入をマスターしたメンバーがマネージャーに記入方法を教えてくれている。

今まで攻撃時しか付けられなかったが、マネージャーのおかげで守備時も

相手チームの攻撃もスコアブックを付けてもらっている。

おかげでかなり正確な個人成績が付けられるようになった。

年度末の個人成績の各部門の成績発表が楽しみだ。

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2004年8月25日 HP開設1周年
先述したが、美原タイガースが結成したのが2002年5月。その後何度か試合をし、活動を続けてきた。

発足当初は練習中心で、どうやって試合相手を探したらいいのか。球場の確保方法の仕方は?そんな事すら知らなかった。

軽い気持ちで
インターネットで「草野球」と検索して見たら、80000件以上のヒット

当然のことながら「草野球チーム」のHPが多い。幾つかのチームHPを見た。

中には動画を取り入れたり、各ページともチームの独自色を出すために趣向を凝らしていた。

草野球を初めて1年以上が経過して、今までメンバーの写真や成績を残したことが無かった事に気づいた。

「メンバーの家族も野球をしている姿を見てみたいだろう」、

「メンバー自身も自分達の野球の成績を見てみたいだろう」と言う想いからHP作りを決意
した。


まずは、どんなページにしようかと考えた。

美原タイガースが結成間も無い頃利用していた球場と言うのは、緑に囲まれたほのぼのとした球場だった。

球場に入るための鍵の掛かった出入り口は無く、外野には芝生というより雑草が生えていた。

梅雨時にはキノコさえ生えているような球場だった。

そんな球場でも時には犬の散歩をしている人が観客になってくれたり、

見知らぬ人が一緒に練習に参加させてほしいと言ってきたり、

本当にほのぼのとした球場だった。練習に疲れたらベンチで横になり木々の間を吹く風で涼んだものだ。

美原タイガースの草野球の原風景は「緑に囲まれた球場」と言っても過言ではない。

という訳で基本的に「緑」を基調にしたページにしよう、と決まった。


次はどんなページを作ろうか。パソコン操作が不得手なため他のチームの様な手の込んだ物は無理と判断。

「活動予定」、「試合結果」、「個人成績」、「写真集」の4ページを作ることに決定。

特に写真集は家族で楽しめるようにできるだけ一杯載せようと心がけた。

トップページにはメンバー全員の写真を載せたいと常々思っていた。


練習試合の対戦相手を募集する時に初めて自分のHPアドレスを公開し、

多くの人がアクセスしてくれた時は嬉しかった。今までトップページに
1日224HITSが最高のアクセス数(2004.06.21)


その後
メンバーの要望により、「出欠確認表」というページを加えた

今まで直接連絡を受けてエクセルに書き込んでいたため、メンバーが自由に訂正したり、閲覧できなかった。

他のチームの方には見られないようにした方が良い、との事でアクセス制限を設ける事になった。

今までやったことも無い事なのでかなり失敗を繰り返し、何とか完成した。

メンバーに「ID」と「PW」を自分で決めてもらい入力していった。

今は無くてはならない大切なページだ。苦労したけど作った甲斐があった


その後幾度もトップページの改訂を繰り返し現在のデザインになった。

美原タイガースHPへのアクセス数もある程度増え、おかげ様で
1年で15000HITSを突破した。

何といってもチームを支えてくれているメンバーや友好チームが相互リンクなどをしてくれたおかげだ。


時には
1日68通のウイルスメールに苦笑いすることもあるけども、草野球チーム「美原タイガース」の

HPは今まで通りメンバーの「家族と一緒に見れるアルバム」の様なページ作りを続けたい。

いつかヤフーに登録されることを夢見て・・・

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2004年6月20日 打撃部門個人成績中間発表
2004年6月の日程が終わった。草野球チームにとっては上半期終了である。

今年我が美原タイガースは1月〜6月までで17試合(10勝7敗)の試合をすることができた。

昨年2003年が1年間で8試合しかできなかった事を思えば、

半年で既に2倍以上の試合数をこなしている。

これには何といっても新メンバーが入ってくれた功績が大きい。


新メンバーのおかげで安定して試合を組むことが出来るし、個人成績争いも面白くなる。

6月を終わった上半期での美原タイガース各打撃部門の個人成績中間発表を行いたいと思う。


まずは
打撃部門

首位打者:
坂口選手・・・3割5分6厘(今岡を凌ぐ好成績をキープ)

出塁率王:
峯尾選手・・・6割5分2厘

塁打王:
山口選手・・・27ポイント(ヒット1P、2ベース2P、3ベース3P、本塁打4Pにて算出)  

打点王:
峯尾選手、山口選手・・・14打点

得点王:
坂口選手、渡辺選手・・・16得点 

選球王:
渡辺選手・・・27個(四死球数) 

盗塁王:
坂口選手・・・39個 


今回は各部門の個人成績がトップの人しか紹介していないが、2位以下の選手とかなり激しい競争が行われている。

まずは、
盗塁王争い。首位の坂口選手を盗塁差2個で猛追している渡辺さん。

3位以下を大きく引き離し、
盗塁王争いはこの2人に絞られてきた。どこまで数字が伸びるか楽しみだ。  


続いて打点王。峯尾選手、山口選手が現在首位であるが、忘れてならないのが現在怪我で療養中の樽井選手。

怪我のため出場試合数こそ少ないが、6試合で9打点と一時期は首位を独走状態。

樽井選手の巻き返しに期待大

続いて、首位打者争い。現在首位を走る坂口さん。2位とは2分の差しかない接戦。
規定打席にあと少し足らないものの参考記録としては「イチロー」をも凌ぐ
打率4割1分9厘の山口選手。
規定打席に達した時が楽しみだ。

続いて出塁率王。現在峯尾選手が首位だが、1分差で渡辺選手が猛追。

また、一時期ドカベンに匹敵する
出塁率7割7分5厘をキープした池上選手

これからどこまで復調してくるのかが楽しみ。


皆勤賞:坂口選手、竹田選手、渡辺選手・・・全17試合出場

何といっても「皆勤賞」ほど取りにくい賞は無い。あまり評価のされにくい賞だが、

草野球は「参加することに意義がある。」

みんな家庭や仕事など忙しい中、調整して全試合出場してくれている3名に心から感謝します。


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2004年6月6日 初物づくし
我が美原タイガースは2002年5月に結成した。

これまで幾度かの試合を重ね少なからず草野球チームとして活動してきた。

まだ活動3年目を迎える美原タイガースに取って経験したことがない事柄は多くある。

2004年5月、我が美原タイガースにとっての
初めてという体験が3個あった。


まず1つ目は、何といっても「
ユニフォーム完成」だ。今まで各自好きなアンダーシャツを着たり、

練習着もバラバラだった。試合で味方のランナーか相手の野手なのか判別付かないこともあった。

初めてユニフォームに袖を通した時はある種の感動を覚えた。

まだまだ草野球チームとしては未熟だが、ユニフォームがあれば気持ちも引き締まる。

チームとしての一体感もでる。活動の幅も広がってくる。

みんなで揃えてよかったと思った瞬間だ。


続いて2つ目は、「
公式審判のジャッジでの試合

草野球チームというのは試合時の審判に攻撃側のチームが審判をすることが多い。

実際我が美原タイガースもそうしてきた。自然と攻撃の味方チームに少し甘い判定になってしまう。

今回審判を引き受けてくれたのが、「草野球の窓」の「くまの穴」の久間様。

審判という職業に惚れ込んだ熱き男だ。(詳細はこちら「草野球の窓」くまの穴)

曖昧なジャッジは全くなく、まさに公平。一塁の判定も審判自らピッチャーマウンドの方に走っていき

見やすい角度での判定。

※ファールゾーンは1塁ベースのベースカバーの邪魔になるのでしていなかったです。

試合前と試合後の整列、挨拶と見事に仕切ってくれました。「是非記念撮影をさせて下さい」と

久万様にお願いしましたが、「
審判は石ころやから、写真には写りません」と

あくまで審判道に邁進していました。


最後は何といっても
チーム初本塁打

5月30日に行われた「狭山ナイツ」第2試合。ランナー3塁。バッターは坂口さん。

相手投手の投げた球を渾身のフルスイング!!打球はセンターの後方をはるかに飛んでいく。

俊足の坂口さんはグングン加速しながらダイヤモンドを駆け抜ける。

中継を経てボールは内野へと返ってきたが、坂口さんのスライディングが早く、間一髪セーフだった。

チーム初本塁打は俊足坂口さんだった。

このコラムに書いてある内容は他のチーム様から見れば、「何を今更・・・」「本塁打くらい何本も打ってるわ」

と思われるかもしれないが、今まで試合すらろくに出来ずにいたチームにとっては忘れられない思い出だ。

ういった小さな思い出を大切にしていきたいと思う。そういうチームであり続けたいと願う


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2004年5月16日 秘密特訓
我が美原タイガースは基本的に毎週土曜日に練習をしている。

日曜日に球場が取れたら練習試合をすることが多い。

したがって、時には土曜日・日曜日の両日共に野球漬けになることもある。

活動としては比較的多いほうだと思う。

それでも試合前には自発的にバッティングセンターに行く時がある。

速い球に目を慣らし確実にミートして、本番に臨むためだ。



翌日に試合を控えていたある日、メンバーでバッティングセンターに行った。

堺市の某所にあるこのバッティングセンターはゲームセンター、ビリヤード場、パターゴルフ、

ピッチングマシン、ストラックアウトや守備練習場なども併設している比較的大きな施設だ。

バッティングセンターは10打席以上あり、
格安料金と豊富な球速を選べるのが売りだ。

各自自分にあった球速の打席で打っていた。

何度かやっているうちに自分のポイントを掴めて来た。



次はどの打席に入ろうかな?と歩いていると「
ミラクルボール」と表に書いてあった。

90キロのカーブと110キロのストレートを投げるらしい。

試合前に相手投手がカーブを投げてくるかもしれないので、意気込んで打席に入った。

球種はもちろん「ミラクルボール(カーブとストレートのランダム)」。

「ボール投げます」の合図と共に始まった
素振りの練習

カーブとストレートを投げられバッティングセンターの1打席分ボールが当たらずひたすら素振り。



素振りの練習を終え、打席を出るとメンバーが一箇所に集まっていた。

見てみると木製バットできれいに打球を返している。時にはホームランせいの当りもある。

球速は?・・・と見てみると「
プロ級150キロ」。

150キロの球をあんなに軽く返せるなんて・・・

メンバーの一人が「やってみよう!!」と言い出した。

「投球中に交代で打席に入り(
投球中の打者の交代は危険ですのでお止め下さい)、

実際に150キロの球を打とう」と言うのだ。

勇気を振り絞って
未知の領域へと踏み出していった


「ボール投げます」の合図と共に投げ出されたボールはいつの間にか後ろのネットに当たっていた。

これが150キロ、
プロの世界かと実感。もしデットボールをくらったら、

間違いなく骨折するなと言う恐怖感と共にバットを振っていた。

自分の持分である7球がやたらと多く感じた。

中にはバットに当てる事ができたメンバーもいたが、ヒットというところまでには至らなかった。


バッティングセンターでいい汗をかいて意気揚々と

帰った
翌日の試合は激しい筋肉痛で体が動かなかった

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2004年4月22日 続・全国デビュー
以前美原タイガースの掲示板に「ペン企画」という番組企画会社の武田様という方が投稿していただき、

それをもとに「気まぐれコラム」で美原タイガースの野球狂を取り上げた文章を書いた。(詳細はこちら

番組企画会社の方の投稿から約2ヶ月後。


我々もそんな投稿があったことすら忘れてしまっていたある日。1通のメールが届いた

差出人は「ペン企画」の武田様
。このサイトの「気まぐれコラム」読み、

是非メンバーを紹介してほしいとの熱い内容だった。

番組概要も添付されており、熱意が伝わった。

コメンテーターは星野仙一元監督と広沢克己元選手だった。

大まかなメール内容を抜粋すると


(省略)

さて、今回なぜ、美原タイガース様にメールを差し上げたかと言いますと・・・。

ホームページ上の「気まぐれコラム」を拝見しまして、エースの花登 様のプロフィールに

大変興味を惹かれたためです。「浴槽の中で変化球の握りと手首の強化の練習」

「1日300球以上の投球にも耐える鉄腕の持ち主」 なんてすごく興味を惹かれます。

そこで、もし不都合でなければ、エースの花登 様をご紹介して頂けないでしょうか

どうかお願い致します。

(省略)


何と今回は美原タイガースのエース花登をご指名での番組出演の依頼だった。


メール内容から武田様の誠意が伝わったので、早速花登氏に武田様のメールを転送し返事を待った。

翌日メールボックスにはエース花登からの返事があった。


「私はまだまだそんな場にでるほどの勇気も実力もありません。

またの機会にさせていただきます」とのことだった。

すかさず私は「花登さん、『またの機会』ってないですよ!!」と突っ込んだが、エースは無頓着。

本人の意思を尊重し、「ペン企画」武田様に丁重にお断りの返事を送った。


追記として、その後のエース花登はメンバーから

「せっかくテレビ出演の依頼があったのにもったいない」と言われながら、苦笑いをしていた。

一時期図書館に通ってスコアブックのつけ方を勉強していたが、マスターしたらしい。

試合の時も率先して正確なスコアブックを付けていただいている。

最近は新しい変化球を習得するために「新たな握り」の猛特訓中だ!!

身体は40歳を超えても野球好きは変わらない。


野球少年の様にひたむきに努力を続け、
進化し続けるエース花登に乾杯!!


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2004年3月24日 3年目の正直
美原タイガースが結成したのが2002年5月。前にも書いたがほんのお遊びだった。

2002年は5試合で2勝3敗。2003年は8試合4勝4敗。

2004年は3ヶ月で9試合5勝4敗と過去の年間試合数を早くも上回っている。


特に2004年の3月はほぼ毎週土、日と練習試合ができた。

これには何といっても昨年12月から新メンバーとして加入してくれた樽井さん、渡辺さん、伊川さん。

今年2月から加入してくれた池上さんを含め
新メンバー4名が入ってくれたおかげだ

今まで試合をしたくても悶々とメンバーが足らずに目標無く練習に明け暮れていた。

時には2人で練習することも多々あった・・・

チームにとって新メンバー4名の加入は野球チームとしてコンスタントに9人揃う。


ある日練習後の話し合いでメンバーから「
美原タイガースのユニフォーム作ろう!」という声が上がった。

過去何度かユニフォーム作成の話が出たこともあったが結局作らなかった。

その理由は「
助っ人ではなく、チームの一員として活動してもらえるメンバー全員でユニフォームを作りたい」と思っていた。

発足当初は遊びのチームだった。試合で
美原タイガースのメンバーより助っ人の方が多い時すらあった。

そんなチームがユニフォームを作れるようになるとは夢にも思っていなかった。


ユニフォームを作成するために何度もスポーツショップに足を運んだ。

メーカーからカタログを取り寄せみんなでデザインを考えた。

タイガースならタテジマだろう。ズボンが白色無地にしようと言っていたのでこれは断念。

上がタテジマで下が白無地はあまりに格好悪い。上着と帽子をデザインすることになった。

できるだけ他のチームにはないものを。「Tigers」のロゴは入れたい。できれば安く。

そして決定したデザインはこちら


デザインが決まったら背番号だ!!各自好きな番号を言っていった。

監督は「77」、私は「05」と言ったがあっさり却下された。

草野球チームとして幾つか背番号に決まり事があるらしい。

監督は「30」、「0〜」はダメとかね。知らなかった・・・


メンバーにサイズ、背番号の最終確認をしスポーツ店にて発注した。完成が待ち遠しい毎日だ。

ユニフォームができたらチームとして今以上の活動ができると思う。

ユニフォームが完成した暁にはみんなで集合写真を撮りましょう!!

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2004年2月24日 「遊び」から「軟式野球」に
我が美原タイガースはユニフォームはまだ揃っていないが、野球道具は一通り揃っている(つもりでいる)。

発足当初のメンバーの野球道具といえば、それはそれはお粗末なものだった。

服装はジャージにTシャツ、運動靴という、近所の公園でキャッチボールをする程度の姿だった。

練習に使うベース類もゴミ箱を漁って、目印程度になる物を置いていた程度だった。

グラウンドの確保方法も知らず、近所の児童公園で練習することも多々あった。

道路にボールが飛び出たり、公園内の人にボールが当たったこともあった。

メンバーに学生時代の部活動での野球経験者がおらず、まさに「お遊び」だった。

お遊びの『美原タイガース』を軟式野球チームへと意識付けしてしていただけたチームがあった。


美原タイガースが初試合に向け、ある球場で練習をしていた時に野球のユニフォームを着た集団が現れた。

ユニフォームというのは独特の威圧感がある。野球経験の無いメンバーにとっては憧れにも映る。

グラウンドを予約していなかったという事もあり、早々に引き上げる準備をしていた。

ユニフォームを着た中の1人が私達の方へ近寄ってきた。「勝手にグラウンド使ってるから怒られる」と、

内心びびっていた。しかし、私たちの元へと来た人が予想外の事をいってくれた。

「○月○日練習試合しませんか?その日はこの球場を4時間予約しているから、存分にできると思います。」

もちろんこちらは「お願いします」とお互いの連絡先を教えあった。相手のチーム名は
「TSP」と名乗ってくれた。

メンバーは屈辱の初試合を経験し、次の「TSP」戦に向け練習していた。

「TSP」戦のメンバー集めが大変だった。初試合に参加してくれた人の中には野球を好きでない人もいたし、

家庭が疎かになるという人もいた。参加できるメンバーの友人、知人に連絡を取り何とかメンバーを揃えた。

混成ではあるが、メンバー9人が集まった。いざ「TSP」戦へ。



前日の雨で試合当日はグラウンドは水溜りだらけ。それでもお構いなしに私たちは1時間半前に集合し、

いつも通りの練習をしていた。試合前に疲れてベンチで休憩していると、「TSP」が現れた。

相手はばっちり全員同じユニフォームを揃え、右袖には「大阪」の文字まで・・・「TSP」って大阪代表!?

かたや
美原タイガースは全員ばらばらのジャージにTシャツ、運動靴。

代表者と話をし、まずはグラウンド整備をしようとなった。

相手はスコップや、バケツを用意しており、テキパキとメンバーがグラウンド整備をしていく。

「私たちもグラウンド整備しなくては!」とゴミ箱を漁り、捨てていたペットボトルで水溜りの水を汲み取っていた。

水溜りで水汲みをしている間に「TSP」の方々とお話させていただく事ができた。

60歳の現役選手を最年長に、少年野球のコーチをしてる方など同一業界の方々でのチームということだった。

昔は連盟などにも加盟して試合をしていたと語っていた。

15分程泥まみれになってなんとかグラウンド整地を終えると、「TSP」は試合場作りと練習組に分かれた。

練習風景をただただ関心して眺めていた。メンバーが同一方向に並んでのキャッチボールから始まり、

トスバッティング、内外野をおいてのミートバッティング。端っこではバッテリーで投球練習している。

完全に呑まれてしまった。

試合場作りの方もテキパキと100mメジャーを使って塁間の測定から始まり、自前のライン引き、

自前のベースを取り出しあっという間に野球のグラウンドができてしまった。

全ての準備を終え、メンバーが整列し試合前の挨拶の時に「試合球をお願いします」と言われ、「何??」

今でこそ当たり前だが、
試合球の用意すら知らずに試合をしようとしていた。

「今度からお願いしますね」とお許しいただいた。

試合が始まってもファールボールの処理や、ランナーコーチ、試合球の手入れなど

試合への気配りが行き届いていた。


試合が始まっても予想通りの展開だった。初めて見る変化球にバッターボックスから逃げてしまい、

三振の山。
エースが降板まで「完全試合」だった。

結果は美原2-12TSPと大敗したが、それ以上に軟式野球チームとして学ぶ事が多かった。

「2週間後にまた試合をしましょう」を監督から仰ってくれた。

TSPとの再戦に向け、
メンバーで話し合い自発的に少しずつ道具を揃えていった。

「まずは足元から」ということでスパイクを買った。ピッチャーでもないのに全員ピー皮(つま先の磨り減りを抑え

るカバー)を装着。悪戦苦闘の末、グラウンド整地用のトンボを2本作成した。

ホームベースは購入し、その他はダンボールを規格のサイズにして布テープで巻いて代用した。

メジャーも購入し、ダイヤモンドの塁間を初めて測った。

負ける事が分かりきっているのに「TSP」との再戦が楽しみだった。

しかし、この再戦は「TSP」のメンバー不足のため実現できなかった。

いつか「TSP」の様なチームになりたいなとメンバーと話していた。

昨年2003年に「TSP」の代表者に再び連絡を取ってみた。「TSP」との試合から毎週練習を重ね、

今までの「遊び」から「軟式野球チーム」へと変化してきた。自分たちの成長を確かめる為に再戦を願いでた。

返答は
チームは解散しました。メンバーが集まらないことが多く仕方ありません・・・」

「そうですか・・・残念です。分かりました」

あれほどの道具類を揃え、きっちりとした役割分担ができるようになるまでには、

相当の年月がかかっただろうと容易に想像がつく。


美原タイガースは結成3年目を迎える若輩チームだ。これからも練習や試合を重ねメンバーとの絆を深めて、

いい「軟式野球チーム」になりたい。何度かメンバーが集まらず解散の危機があったが何とか乗り越えてきた。

これからもメンバーと話し合い野球を続けていけるようにがんばろう!!


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2004年2月23日 屈辱の初試合
今年で結成3年目を迎える美原タイガースが軟式野球をやりだしたのは本当に偶然だった。

2002年5月美原町にある会社に共同会社の方が応援に来られていた。

その会社では毎日昼休憩に柔らかいボールで「野球」をして時間を潰していた。

この「野球」は独自のルールの下活動していた。大まかなルールはと言うと・・・

・打者は走らなくていい。・会社の敷地から出たらチェンジ。・屋根、車に当たればアウト。

・事務所の窓に当たればホームラン 等その敷地内での「野球」として楽しんでいた。

我々の「野球」をしているのを見た共同会社の方が、一度打たせて下さいと言い打席に入った。

対する投手はエース花登。見事空振りの三振に抑えた。「あんな変化球よう打ちませんわ」と共同会社の方。

そう、この「野球」は非常に柔らかいボールを使っていたので、ピン球の様に自由自在に変化するのだ。



昼休憩が終わり、
共同会社の方が唐突に「軟式野球しませんか?」と話してきた。

一同戸惑いその場は返事を保留。子供の時以来グローブをはめた事もないが、野球は大好きな連中だった。

先方には「試合させて下さい」との連絡をした。もともと小さな会社のためメンバー9人集めるのが一苦労。

今まで一度もグローブを使ったことがない人もメンバーに借り出された。

バッティングセンターにも行き、そこそこ打てた。試合までの数週間何度か練習を重ねてきた。

(この練習中に「TSP」というチームから練習試合を申し込まれる事となった。)

前日に決起会を行った。「チーム名をどうしようか?」と話していた時に、

会社が美原町やし、タイガースファンやから、『美原タイガース』でええんちゃう!?

まさに『美原タイガース』誕生の瞬間であったが、あまりに単純。今では愛着のあるチーム名になった。

記念すべき初試合は2002年5月25日鴨谷球場だった。結果は美原3-12浪速の完敗だった。

内容はエースの四死球の連続。ストライクを入れに行った球を強打され、味方の守備陣はエラーの連発。

打てば三振・凡打の山。異様に長く続く感じた守備だった。

挙句に相手チームから「
時間無いから、美原タイガースさん打って下さい」と相手チームの攻撃途中で交

それでも一矢報いる事ができなかった。この屈辱的敗戦を経験しメンバーは練習に励んだ。


今まで昼休憩にやっていた「野球」を止め、軟球でのキャッチボールを始めた。


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2004年2月1日 新年初試合初勝利
2004年2月1日(日)新年初試合が浜寺球場にて行われた。対戦相手は「オリオンロビンズ」様。

このチームのキャプテンとは昨年からグラウンドを取れたら是非とも試合をしましょうと約束していて、

やっと対戦できるので大変楽しみだった。

相手のエースは120`超のストレート、カーブ、スライダーを投げ分けるとの前情報を頂いていた。


素人ばかりの美原タイガースにそんな球打てるはずがない!!と思っていた。

うちのエースも試合前からやや落ち込みがちに・・・エースのお尻を叩いて叱咤激励。

今回の試合は美原タイガースにとっても非常に大きな意味があった。

昨年の12月に新メンバー渡辺さん、樽井さん、伊川さんを交えての初戦という事もあり、

是が非でも勝ちたかった。私の胸中を知ってかエースもプレッシャーを感じていたようだ。


試合当日は今までの寒気が嘘のようになくなり、穏やかな晴天だった。まさに絶好の運動日和。

メンバー一同浜寺球場の真横まで渡辺さんの車で乗り入れた。

園児達が遊び回る中、一台の自家用車が堂々と浜寺公園内を走っている姿はちょとした優越感に浸れた。

まさに自動車と言うものが、一部の特権階級のシンボル的存在の時代にタイムスリップした錯角さえ覚えた。

メンバーからは「パレードみたいや」との声も。まさに遠足気分だ。


試合前に「オリオンロビンズ」様のキャプテンと大まかな打ちあわせを終え、いざ第一試合へ。

エース花登の安定した投球内容に安心し、途中エースにもゆとりがでてきた。

クローザーの竹田さんを第二試合に温存してエースに第一試合の完投をお願いした。

見事「オリオンロビンズ」を6安打1失点に抑え今年初勝利。

新メンバーの渡辺さん、樽井さん、伊川さんも加わっての初勝利

メンバーが集まらずに試合のできない時期が続き目標を失っていた美原タイガースに、

希望を与えてくれたのが、渡辺さん、樽井さん、伊川さんの加入だった。


大阪府内に数多くある草野球チームの中から「美原タイガース」に入っていただきありがとうございます。

これから新しい美原タイガースを作っていきましょう。


「オリオンロビンズ」様との第二試合は
こちらへ「無念の逆転負け」

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2004年1月29日 全国デビュー
最近はめっきり暖かくなってきて日中は外に居てる方が気持ちがいい位の陽気ですね。

今日、久々に我がチーム美原タイガースの掲示板を覗いたら、ある番組企画会社の方の投稿がありました。

タイトルは
「野球狂を探しています」今春からの阪神タイガース番組での1コーナーに

「町の野球狂達」的な人物の発掘と募集を兼ねた内容だった。以下に大まかな文章抜粋して紹介すると。

《初めまして、私は番組企画会社『ペン企画』の武田賢宗(タケダマサムネ)と申します。

いきなりですが、今、此方では 
”野球に熱い人” の情報を大募集しています。

朝日放送(ABC)では今春深夜からタイガース番組が始まります。そして、その野球番組の最後で、

町の”野球に情熱を傾ける人”を紹介する1分ほどのコーナーが誕生する事になりました。

そこで、このコーナーで取り上げる、野球が大好きで、独自の信念を持って打ち込んでいる個性的な野球人を大募集します。

何か情報をお持ちの方は、是非、ご一報を。※以下省略》

原文は掲示板投稿NO.35をご覧下さい



番組企画会社にメールを送るつもりはありませんが、自分なりに美原タイガースの野球狂達を紹介すると・・・


まずは、
エース花登。40歳で初めて軟式野球をやり始める。日夜野球参考書を読み漁り、知識は超高校級。

体力年齢も驚異の18歳を記録。風呂の中では軟球を洗い磨き、

浴槽の中で変化球の握りと手首の強化の練習。1日300球以上の投球にも耐える鉄腕の持ち主。

チームの勝利はエースの右肩にかかっています


続いて
竹田さん。50歳を超えているとは思えないほどの選手。

投げて良し、打ってよし、守ってよしの3拍子揃った名選手。練習の時のノックも快く引き受けてくれ、

毎回厳しくご指導していただいています。仕事の後一睡もせずに練習&試合に参加してくれる事もあり、

驚異の肉体です。
リリーフとして登板した時は未だに2回まで防御率0.0のパーフェクトピッチングの神話が、

継続中!!


最後は
渡辺さん。47歳でベースランニング堂々の1位を記録

また、守備練習やシート打撃でも実力の高さを

十分に発揮してくれています。土曜日は美原タイガースで活動され、

日曜日に自分がキャプテンを勤めるチームで活動されています。

まさに野球狂の休日と言っても過言ではありません。


美原タイガースの野球狂達の一部の方を紹介するとしたらこんな感じです。3人とも40代以上の方です。

頼もしき先輩方のおかげで本当にチームが支えられていると実感します。

今後も熱い野球狂達を紹介していきます。


みんなで野球をやってる場面がテレビに映ったら面白いなぁと思いました。

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2004年1月25日 初試合積雪で中止
待ちに待った2004年初試合が今日1月25日に開催予定でした。

対戦相手はうちと相互リンクをしていただいている「泉州ロビンズ」様。

日曜日という事もあり、メンバーの出席も確保できて楽しみでした。



ところが、何と球場が積雪で中止。すっごい楽しみだったのに・・・やっぱ私は大雨男だw。

前日はあんなに晴れていたのにね。

今回のスターティングオーダーは打順はまだ決まっていませんでしたが、守備はすんなり決まりました。

投手:花登、捕手:米田、一塁:竹田、二塁:岡田、三塁:伊川、遊撃:山口、左翼:渡辺、中堅:坂口、

右翼:樽井でした。日頃の練習を見ていて監督と相談して決めました。

次週2月1日は是非とも試合したいですね。晴れを祈ります。

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2004年1月10日 記録会
2004年1月10日(土)新年最初の練習日に記録会を行いました。天気にも恵まれ、絶好の運動日和でした。

新メンバーでの活躍が目立ったのが伊川さん。投・打とも上位の好記録を残してくれました。

これからの期待が楽しみです。


圧巻は渡辺さんのベースランニング。前評判通りのぶっちぎりの1位を獲得。

やや心配はエース花登さんの遠投距離が振るわなかったこと・・・鉄腕にもかげりか!?
エースの復活を望む!!



今回は準備不足の為記録が残っていない方がいてるのが心残りです。

次回は全員が納得のいく記録を残せるように改善します。次回の記録会が楽しみです

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